2012年2月22日 (水)

アバター遊び 源氏を彩る女たち③

さて、話は前後致しますが、源氏17歳の時に結ばれた「夕顔」。

もともと源氏の親友 頭中将(とうのちゅうじょう)の側室で、一女(玉鬘)を儲けるが、本妻の嫉妬を恐れ身を隠していた時に、源氏と知り合い結ばれる。

Photo

儚く可燐な風情で、逢瀬の度に身を委ね頼りきった様が源氏の心を魅了してしまう。

ある逢引きの深夜に女の霊が現れて恨み言を言うという怪異にあい、夕顔はそのまま人事不省に陥り、明け方に亡くなってしまう。

女の霊は六条御息所と言われてますが不明です。

なんとなく儚げな感じに見えますか?

六条の御息所 (ろくじょうのみやすどころ)

Photo_2
大臣の娘として生まれ、東宮妃になり、一女を儲ける。東宮と死別後、源氏と恋愛の陥る。源氏よりもかなり年嵩であると思われる。
この方は源氏物語では何度か生霊、死霊として書かれている。最初は本人は気がつかないのだが、ある時自分が生霊として彷徨っていることを薄々感じ取ってしまう。 激しい妬心から自制のきかなくなった魂が生霊となり、仇をなすものに取り付くのだが、きっかけは加茂祭(葵祭)の時に源氏の正室 葵の上(あおいのうえ)方の下人に恥辱的な扱いを受けたことで、生霊となって妊娠中の葵の上を悩ませる。難産の末に葵の上は出産するが、産後すぐになくなってしまう。

六条の御息所は自身の妬心が招いた重大な結果の恐ろしさに罪の意識を感じ、また源氏の愛を完全に失ったことを悟り、斎宮になった娘について伊勢へ下る。

6年後、代替わりで斎宮の任期が終わると京に戻ってくるが、出家してその後病没。

歿後も死霊として何度か登場するが、この方は身分も高く美貌で教養もあり、プライドも高い貴婦人なのだけど、嫉妬心のお化けみたいな描かれ方をしてちょっとかわいそうな気もします。    

葵の上(あおいのうえ)

Photo_3


源氏の正室。頭の中将と同腹のきょうだい(どちらが上かははっきりしない)        母は桐壺帝の妹なので源氏の従姉(葵上が4歳年上)あたる。 

夫婦仲はあまり良いとは言えず、よそよそしい妻であったようだ。結婚10年後に懐妊というから源氏12歳、葵の上16歳で結婚したことになる。

葵の上は8月中旬に「夕霧」出産後、すぐに亡くなってしまう。

前記の六条の御息所の生霊に祟られたせいで、苦しんで死んだとされる。

昔は本当に生霊だの死霊だので物語が成り立ってたんですね。

夜が暗いと本当に亡霊が出てくるような気がするものね。

今じゃありえないよね。電気というものができてから霊の存在が希薄になったのね。

今日はここまで・・・ 

 

 

2012年2月 3日 (金)

アバター遊び 源氏を彩る女たち②

前回はさらっと説明しましたが、今回からもう少し踏み込んで解説まではいかないけれど、もう少し詳しく書きます。

さて、光源氏の生い立ちです。

この方は帝の子供なのだが、母の地位が低かったのと母親が早逝してしまったために後ろ盾がないことを帝が危ぶみ、また光の君が帝位につくと国が乱れると高麗人に預言されたことで臣籍降下させて源氏の姓を与えた。

帝は源氏の母、桐壺更衣(きりつぼのこうい)をとても深く愛していたのと、光源氏の輝くような美しさと賢さを愛でていたために、源氏が祖母をなくしてからは手元に置いて育てていた。

そしていつまでも桐壺更衣を懐かしく忘れがたく思っていたが、先帝の内親王(藤壺)が桐壺に似ていると聞かされ、熱心に入内を勧めた。そして妻に迎える。藤壺14歳、源氏9歳の時だった。普通なら血のつながりのない男女はたとえ親子といえども御簾を隔てて直接顔を見せないものだが、帝は源氏を寵愛してどこへでも連れて行くものだから自然と源氏と藤壺が顔を合わせるような機会があった。

源氏は亡き母に似ているという藤壺の宮を思慕し、元服後は恋へと変わっていく。

Photo_5


藤壺の宮

源氏の父、桐壺帝の后。源氏の母、桐壺更衣と瓜二つ。源氏は父帝について藤壺の部屋へ行き、藤壺と母をダブらせ憧れが恋へと変化していく。そして藤壺が病で里下がりした時に関係を持ち、その一回の過ちで藤壺は妊娠。源氏に瓜二つの皇子を産む(のちの冷泉帝)。桐壺帝崩御後に出家して37歳で亡くなっている。

若気の至りとはいえ、これは重大な罪でこの源氏の影の部分が後の女三宮を妻に迎えたあとに因果応報となって源氏に降りかかってくる。

朧月夜の君(尚侍)

弘徽殿女御(桐壺帝の第一后)の妹

艶やかで奔放な性格の人で、源氏と恋愛をするが、弘徽殿女御は源氏を憎んでいたため、密かに付きあっていた。また桐壺帝の代の右大臣の六番目の娘という高貴な生まれだったので東宮(朱雀帝)のもとに入内する予定だったのだが、源氏との関係が発覚して取りやめになった。

Photo_6

尚侍として弘徽殿に上がり、朱雀帝の寵を得るが源氏との逢瀬も密かに続けていた。このことが公になって右大臣と弘徽殿女御の怒りを買い、源氏は須磨に退去する。

Photo_7

明石の君

さて、須磨に居を移した源氏は都の華やかな生活から離れて侘しく淋しい日々を送っていたが、ここで明石の入道という変わり者と知り合うことになる。この人は桐壺更衣のいとこの当たる人でもともと三位中将という高官だった。住吉明神の霊験を信じ、異常な行動をとる神秘的な人物である。この入道に娘がいた。この娘が明石の君である。入道は熱心に源氏とわが娘の結婚を望んだ。そして明石の君は源氏の娘を産む。

後にこの源氏の娘は紫の上の養女となり、入内、中宮になる。自身の出自の低さから明石の君は娘の行く末を思い、可愛い盛りの幼子を身を切られる思いで手放した。中宮になった明石の女御の付き添いを許され、その後は娘の後見をする。琵琶の名手。聡明で気位の高い女性である。

ちょっと流れがわかりますかね。この間にもいろいろな人物が出てくるのですが・・・

大雑把に説明させていただきました。

2012年2月 1日 (水)

アバター遊び 源氏を彩る女たち①

お正月からしばらく源氏物語に出てくる女たちをやってました。

あくまで私のイメージの中の源氏の女たちですが・・・

Photo_2


元旦に末摘花から始まって…

元旦に末摘花ってのもすごいと思うけど、一番わかり易いかなと。

このアバターにした時に何人かの方から「末摘花でしょう?」とつぶやきが来たのでイメージとしては合ってるのかな。

宮様の娘さんだけど古臭くて融通の利かない人でこのアバターのようにけして美人じゃなかったけど純真な心根の持ち主。極端に古風な教育を受けていたため、恥ずかしくなるような滑稽なこともあったけど源氏は見捨てておけず、二条のお屋敷に引き取って最後まで面倒見るんですよね。

Photo


空蝉。源氏が十代の頃、物語では最初の方に出てくる女性で、容貌は美しくはないけれど立ち居振る舞いが際立って良く、源氏の求愛を最後まで拒み続けた芯の強い女性です。

源氏の訪れを察した空蝉は薄衣一枚を残して逃げてしまいます。

一説には紫式部自身がモデルではないかと言われています。




Photo_5


花散里。この人も美しくはなかったために、源氏は母を亡くした息子の夕霧の母代わり抜擢します。自分と藤壺の過ちの繰り返しを恐れて花散里ならばよもや間違いを起こすことはないだろうと夕霧を託したのですが、花散里が美しい人であったとしても、源氏とは似ていない実直で一筋の夕霧ならば過ちを犯すことは無かったでしょうね。

雲居の雁。源氏の親友、頭の中将の娘。源氏とは直接関わりがあるわけではありませんが、息子の夕霧の初恋の相手で一筋にその恋を貫いて結婚します。 夕霧と雲居の雁はイトコ同士なんですよね。夫婦仲は円満で子沢山でした。7人とも8人とも言われています。

Photo_6

夕霧は源氏と姿かたちは似ているものの浮気症ではなく、雲居の雁を正室に迎えたあと、妾は一人だけでという真面目な男だったけど、親友の柏木の没後、未亡人の落葉の宮に執心して雲居の雁を怒らせ、別居されるという情けない事件も起こしています。

画像を入れるのがけっこう大変。なんかうまくいかないなぁ。

2012年1月17日 (火)

拓郎さんの提供曲 たどりついたらいつも雨ふり

1972年7月5日発売の『ザ・モップス』のシングルとして提供された「たどりついたらいつも雨ふり」は同じ年の7月21日発売の拓郎さんのアルバム『元気です』にも収録されている。

アルバム『元気です』は46.9万枚の大ヒットになったので私はご本人のオリジナルのほうが慣れ親しんでいるのだけれど、鈴木ヒロミツさんの野太いボーカルもまたちがった味があって良い。後に色々な人がモップスバージョンをカバーしたり、アレンジを変えて歌っている。

今回は拓郎さんご本人のものと、モップス、山崎ハコさん、氷室京介さん、子供ばんど、桑田佳祐さんがラジオで弾き語りされたもの、大友康平さん(大友さんはご自身のアルバムJ-STANDARD 70’S〈70年代のカバーアルバム〉にも収録)がTVで和田アキ子さんと歌っているものをご紹介。

「たどりついたらいつも雨ふり」は原曲があって、広島のダウンタウンズ時代に拓郎さんが作ったもので、広島時代の曲名は「好きになったよ女の娘」。

メロディはそのままで歌詞を変えて「たどりついたらいつも雨ふり」という名曲が生まれた。

中村雅俊さんと広島の旅みたいな企画があってその時のTV番組の中で紹介されたこの曲を演奏している珍しい映像がUPされていたのでこちらもご紹介。以前にも何度かUPされてたけど、You Tubeで削除されて再UPの繰り返しみたい。だからまた削除されるかも・・・

ボーカルは拓郎さんではなくダウンタウン時代のボーカルが歌ってます。

まずはご本人。アルバム「元気です」バージョン

モップスバージョン

ハコさん、アレンジも変えてますね。

氷室さんバージョンに至っては題名を聞いても聴き始めて歌に入るまで同名異曲だと思っちゃう。

ボーカルうじきさんかっこいい。

桑田さんラジオで弾き語りです。

「コラボ☆ラボ~夢の音楽工房~」という番組らしいです。

広島でのダウンタウンズ再結成?の映像

またまた、拓郎さんの提供曲になってしまった。

自分の宅録の方はなかなかできなくって・・・

2012年1月15日 (日)

拓郎さんの提供曲  君うるわしのかんばせ

前回、拓郎さんがラジオでデモテープを流していたことを書きました。

今回のは拓郎さんが作曲してボツになったものを…

藤公之介さんという方が作詞して、拓郎さんが曲をつけ、萩原健一さんが歌うことになっていた「君うるわしのかんばせ」というものがありました。

ボツになった理由はどうも萩原さんと拓郎さんが喧嘩をしたらしいのですが、真相はわかりません。そしてこの歌は森田公一さんが曲をつけ、「美わしのかんばせ」という曲名で1975年の萩原健一さんのアルバム『惚れた』の1曲目に収録されています。                ラジオで拓郎さんは作曲者を間違えて井上堯之さんとか大野克夫さんとか言ってますが、森田公一さんの作曲です。

そして、拓郎さんの曲のほうは阿久悠さんが作詞をして1978年の清水健太郎さんのシングル「さらば」となって発売されました。

一つの曲が詩と曲を分離して別々の曲になってます。

これをまとめて編集してくださった方がYou TubeにUPしてらっしゃったのを見つけました。 拓郎さんのデモテープはご本人がおっしゃるように音質がとても悪く聴きづらいですが、3曲続けてどうぞ。

拓郎さんのトークから始まり1分あたりから「君うるわしのかんばせ」4分18秒から「美わしのかんばせ」8分17秒から「さらば」になっています。

「君うるわしのかんばせ」作詞 森公之介 作曲 吉田拓郎 歌 吉田拓郎

「美わしのかんばせ」作詞 森公之介 作曲 森田公一 歌 萩原健一

「さらば」 作詞 阿久悠 作曲 吉田拓郎 歌 清水健太郎

拓郎さんの提供曲 アイドル編

さて、1980年代に拓郎さんはたくさんのアイドルに曲を提供しましたが、その中からいくつか。

80年代の作詞は松本隆さん(元はっぴぃえんど)と組むことが多かったのですが、時には阿久悠さんや昔から拓郎さんの詩をよく書いていた岡本おさみさんなどとも組んでいます。

拓郎さんがアイドルに曲を提供する場合、自宅でデモテープを作って(いわゆる宅録ってやつです)それを渡すという方法をとっていました。

当時はまだCDを自宅で作れなかったんじゃないかな。なのでそれはカセットテープに多重録音して作っていたんだと思います。だから音質は当然悪いです。

彼はそれを自分のラジオ番組で流していました。そしてコアなファンがまたカセットに録音して何十年も保管していたものをYou TubeにUPしてます。どんどん音質は悪くなってますが、とっても貴重なものなんです(ファンにとってはね)。

では最初は作詞が既成の作詞家によるものでアイドルのデビュー曲を手掛けたもの。作詞は阿久悠さん、編曲は鈴木茂さん(元はっぴぃえんど)が担当してますね。

石野真子さんで「狼なんか怖くない」拓郎さんのデモテープと真子ちゃんのレコード続けて。

さて次は松本隆さんと組んでやった仕事です。太田ひろみさんの「失恋魔術師」。編曲は荻田光雄さん。

太田ひろみさんの舌ったらずな発音かわいいです。拓郎さんのデモから…

最後に今はアイドルという感じからかけ離れてますが、当時はとてもかわいい方でした。八重歯を抜いてからアイドルという感じではなく大人の女性に変わっていきましたね。

小柳ルミ子さんで「蛍の河」。岡本おさみさんの作詞によるものです。編曲は馬飼野俊一さん。私はこの曲が拓郎さんらしくて好きですが、でもそれほど売れなかったんじゃなかったかな?

では拓郎さんのデモから

正確にいうと1970年代後半からなんだけどイメージ的にはアイドルに曲を提供したのは80年代という感じ、1980年代は拓郎さん本当にたくさんの曲をたくさんの人に提供してました。売れたのもあり、売れなかったのもあり、提供曲の一覧を見ても知らないのもたくさんあります。

ご本人がデモを作ってボツになった曲をラジオで流したりもしました。あまり売れなかった曲たちは音源もなく拓郎さんご本人も歌ってないと消えてなくなってしまうのかしらん?と他人事ながら心配してます。

拓郎さん自身も忘れているようなそういう曲をセルフカバーで出したらいいのになぁ・・・

2012年1月 3日 (火)

ぞうぞうさんとビビル君のお出まし

インターポット
マイページに保存のほうを押そうとして間違えちゃった…
マイドさんいつの間にか帰ってしまってた。
で水やって肥料やったら、あげ過ぎたのでお二方に来てもらいました。
 

2012年1月 1日 (日)

おせち~ 新年おめでとう

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申しあげます。

今日は音楽を離れて食べ物のこと。

おせち料理。

私は好き嫌いが多くて食べられないものがいっぱい。市販のおせち料理を買うと半分はゴミ箱行きになってしまうの。

だから、だいたい自分で作ります。好き嫌いと言っても味付けのほうの好き嫌いなので、市販のものは私の口にはまずいのね。

たぶん、市販のものを買う方が多いのだから私の嗜好のほうが変なんだと思う。市販のものは甘すぎる、酸っぱすぎる、塩辛すぎる、なので自分で作るの。

数年前までは一の重、二の重、三の重まできっちり作ってたけど、食べきれなくて捨てる羽目に…去年は手が不自由だったので市販のものを買ったのだけどおいしいと思わなかった。

今年は簡単にもう重箱に詰めたりしない、好きなものだけ少し作ったのだけど…それでもやっぱり多く作ってしまって何人かに配りました。

Cimg0719_2

今日の朝のお食事。全部は食べてませんよ。こんなには食べられない…

Cimg0720

煮物は里いも、レンコン、こんにゃく、タコ、さくら麩ともみじ麩を散らして。

焼き物は左から鰤の幽庵焼き、鰤の西京焼き、鮭の幽庵焼き、鮭の西京焼き、とりもものつけ焼き、とりももの西京焼き、中央は有頭海老の塩焼き。

西京焼きが好きなんだよね。

Cimg0722_2


かまぼこ、卵焼き(伊達巻は嫌いなの)

昆布巻き(芯はまぐろ、鰤、鮭の三種類)

もも肉焼き豚(これも良く作ります)

今回は最初からお重に詰めるつもりはなくてスーパーで買ったお弁当などの空いたパックを利用しました。

Cimg0721

パック2つで足りると思ったけど足りなくてお皿に

上から数の子、ロースハム、スモークサーモン、ローストビーフ(いつもはローストビーフは作るんだけど今回は買ったもの、やっぱり自分で作ったほうが良かったっていうお味でした)このお皿は買ったものを並べただけ。

Cimg0723
お雑煮、これだけでも良かったかなと思ったりして。

お団子みたいなのは鴨と鶏とユリ根のお団子。揚げたての時はとってもおいしかったんだけど、時間が経つと少々お味が落ちてました。

もう来年からは作るのやめようかなって思うほど冷蔵庫の中はまだいっぱい残ってる。

これを何日も食べなきゃって思うと作るのやめようって思うんだけど、また暮になると作りたくなっちゃうんだわ。

2011年12月21日 (水)

拓郎さんの提供曲  演歌編 アレンジでこれだけ違う

前回はキャンディーズ編をご紹介しましたが、拓郎さんが提供した曲はアイドルだけではありません。演歌も提供してるんです。森進一さんへ「襟裳岬」

拓郎さんも同じ曲を歌っていますが、拓郎さんが歌うと演歌ではないんですよね。曲はアレンジ次第でジャンルさえ変わってしまうということですか。

1974年のレコード大賞、日本歌謡大賞をダブル受賞した曲「襟裳岬」作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎 編曲 馬飼野俊一。

まだ賞というものが権威があった頃のことです。この受賞が決まってセレモニーに拓郎さんが参加するのかどうかということがマスコミの注目の的でした。

前年の金沢事件(この事件についてはご本人が笑い話にされてるので書いても問題はないと思いますが、ことさら書く必要もないので書きません。興味のある方はご自分で検索してみてください)でよりマスコミ嫌いになっていた拓郎さんは一切マスコミの前に姿を見せません。マスコミ側ももう無視するには拓郎さんは大きな存在になっていました。

この大セレモニーに拓郎さんは参加するのですが、ほかの方たちのようにモーニングやスーツではなく、上下ジーンズ姿で登場したのでした。さすがに下駄ははいてませんが…

懐かしい映像です。森進一さんの独特の歌唱法、物まねする人多かったですね。

では拓郎さんが歌うとどんな感じになるか…拓郎さんはこの曲をいろんなアレンジで歌っているので全部は紹介できないけれど3つほどYou Tubeからピックアップしました。

出だしだけでも聴いてみてください。アレンジってすごいなぁって思えますから。

一番最初の動画は拓郎さん途中で間違って撮り(録り)直しになってます。だいたい3分半くらいから、セブンスターショーって生だったんですね・・・このころ拓郎さんふっくらしてますね。

75年のつま恋のオールナイトコンサートの動画ですね。

こちらは私も知らなかったけど最近の動画のようです。最近と言ってもここ10年くらいかな。ちょっと収録時期が分らないのではっきりしませんが…また極端にアレンジ変えてますね。

もう1曲ご紹介。「世捨人唄」 森進一さんの「襟裳岬」の裏面。裏面と書いたのはこのレコードは両A面扱いだったのです。

さて拓郎さんバージョン。ありそうでなかったので自分の別アカでUPしましたが取り合えず急ぎUPで映像も合わせてないので限定公開…一般公開にはしないかも…

アレンジってすごいでしょ、同じ曲がこんなに変わってしまう。

では今日はこれまで ・・・

2011年12月18日 (日)

久々の更新 僕のエピローグ・我が家

あっちこっちへ迷走しているブログですが、今日は宅録です。

オケを使わずに自分で演奏しましたが、なにかうまくいかずに二人の師匠にお手伝いしてもらいました。

私は女だてらにギブソンのJ-45を所有しています。

ギターのことがわかってて購入したものではなく、拓郎さんが持っているっていうだけで欲しくて欲しくて3年がかりで貯金箱に小銭を貯めて買ったのです。

しかし、このギターは私のようにピッキングが弱いと様にならず、ストローグでジャカジャカと弾いてこそ味のあるもので本当はギブソンよりマーチンを買ったほうがよかったのだと後でわかりました。

買うとき、マーチンも候補にあったのですが、ギブソンより1万円ほど高かったのと、ギブソンのほうは仕様がカスタムショップのもので売れてしまうと同じものは手に入らないという楽器屋のお兄さんの口車?に乗せられて決めてしまいました。なんかIPの期間限定に乗せられたような感じwww

このギターは高かったのでしばらく弾かずに眺めているといった感じで、それがいけなかったのか弦高がちょっと高くてとても弾きづらいものになってしまって、あとから直してもらうことになるのですが。

ボディもちょっと大ぶりでその割には音が小さいのです。ストローグが苦手な私はアルペジオを多用するので、しっかりと弦をはじかなければいけません。

でも買ったものですし、弾かないでただ見てるわけにはいかないので弾きにくいなぁと思いながらも使っていました。(弦高を直す前)

今日紹介する2曲は両方ともギブソンJ-45を使ったのですが、「僕のエピローグ」のほうはプリングオフ(ギターのテクニックの一つ)がうまくいかず、TAKU45さんに「どうにかならないかしら?」と泣きついてギターを何本か重ねて頂いて、私の稚拙なギターテクニックをカバーしてもらいました。

「我が家」のほうは苦手なストローグを使ってやってみようと頑張ったんです。で、うらぱんさんにMIXをお願してファイルを送りました。

「これってこのままでUPするの?あんまり寂しいんじゃない?」ってお返事が…「じゃ、スリーフィンガー重ねます」とまたファイルを送ったのですが「歌のあるところはこれでいいけど、間奏の部分とかまだ寂しいなぁ」とうらぱんさんがエレキを重ねてくれました。

ギター1本の弾き語りもいいですが、いろいろな音が重なるとまたいいものですね。最近はギターもサボり気味だし、歌を歌うことも前ほどはなくなって、暇過ぎるのもいけないけど、忙しすぎるのも欲求不満が溜るなぁって思います。カラオケも行かなくなったし…

以前登録していた音楽サイトが閉鎖されてから、二人の師匠ともなかなかお会いできず、コラボレーションも出来なくてつまらなくなってしまいました。

では「僕のエピローグ」と「我が家」

「僕のエピローグ」は作詞が吉田拓郎さん、作曲は『猫』の常富喜雄さんと大久保一久さん。大久保さんは後に伊勢正三さんと『風』を結成されました。

「我が家」はアルバム『明日に向かって走れ』に収録されている小曲です。

«アバター遊び②